園部研 > > Eng|Ger|Fre|Spa|Por|Ita
【22世紀へ!園部研】
雑念一管(二) 雑念一管(二)  
本当の世界構造

はじめに

 自分はなぜこの自分なのでしょう?

 あの世はあるのでしょうか?

 “奇跡”は本当に起こっているのでしょうか?

 生きていく中で、こうした疑問は、繰り返し頭の中に湧いてきますね。

 人は、生物として形作られた脳回路によって、ある程度の本能的な世界観をもっています。さらに、育っていく過程でまわりから言われたり自分で吸収した情報を総合判断して、世界観を修正していきます。

 親から言い聞かされたり社会生活の中で皆が行っていたり言っていたりすることは、なかなか抵抗しにくいことで、年齢を重ねていってやっとそれがどうやら迷信らしいことを悟ることも多くあります。
 亡くなった人と自分をつなぐ世界があって再会したいという願望が、自分にそうした世界観を真実であるかどうかにかかわらず、強く選ばせているという事情があります。

 このように迷いながら生きていくのは、理性的な動物である人間の尊い一面ではありますが、真実から目を背けているうちに誰かに騙されて大変な犠牲を払ってしまうなどの実害を被ることもあります。

 本書では、私が認識した世界の本当の姿を明らかにし、読者が固定観念の呪縛や迷いから解放されるお役に少しで立てればと思います。



 その前に私のことを少しだけご紹介しますと、小さい頃から科学に興味をもっていました。祖母の死では子供ながら仏教に傾倒し、お線香を焚いて暗記したお経を唱えました。
 高校では科学書とともに超常現象の本なども読み、姓名判断にも凝りました。
 その後物理を専攻して量子力学や相対性理論に感激、哲学や論理学は特に楽しく学びました。卒業後は情報処理を仕事としてきました。人工知能の研究や発明も少ししました。ただ人工知能といっても人間の知能の足元にも及んでいませんが。
 最近では、亡くなった母親が一度めに脳内出血で緊急入院してから15年間、自宅と病院で看護(介護)した経験も勉強になりました。
 さまざまなことがありましたが、科学と非科学、人と物、生と死を見つめてきました。

 本書は、哲学的な疑問をもつ子供だった自分に対する、大人の自分からの回答でもあります。
 では以下に、よくある質問(Q&A)形式で、私の理解している“真実”を述べていきましょう。



Q.あの世はありますか? たとえば、天国、地獄、極楽浄土など。

A.ありません。

 死んで脳がなくなってしまうと、人の精神活動はそこで終わり、それ以後の時間に、どこかの場所で同じ精神構造や記憶や自我意識をもったものが、精神活動のつづきを行うことは、残念ながらできません。これは人間に限らず、動物すべてにいえます。



Q.先に死んだ人とあの世で会えないのでしょうか?

A.あの世がないの会うことは永遠にできません。とても残念でたまらないですが、あの世はないのです。



Q.死んだ人の意識はどうなるのでしょうか?

A.意識を動かす脳がなくなっている以上、意識は存在しません。眠っているのでも止まっているのでもなく、定義できませんし、観測もできません。



Q.死んだ人と話したり、テレパシーで情報を送るか受けるかできないでしょうか?

A.できません。

 ただ、時間を遡って、死ぬ前のその人と情報のやりとりをしたり、死ぬ前の人の脳を通じてその外界の情報を得ることは、ありえないことではないと考えられます。



Q.自分がなぜこの体に宿ったのですか?

A.そういう質問は魂の存在を前提にしているので不適切です。
 イカ、タコ位以上の高等な生物になると、体ひとつあたりひとつ脳があって、外界を見聞きし、言語まであやつることがあってもなくても、自分がいいと思う行動、反応をします。これを精神活動をいうなら、その精神の内側から眺めたその体が自分であって、自分の精神活動の一定性、そして外界との区別が自我意識というものです。

 つまり、動物の体という“車”には1台にひとり“運転手”がおまけとしてくっついて製造されてくるので、その“運転手”が自分を自覚するにすぎないのです。

 もし魂が外に存在していて、地球上に人間が生まれるときに、ひとつひとつ誰かが割り当てるなら、自分はなぜこの体に宿ったのだろうと、不思議に思えるかもしれません。造物主の気まぐれなのか、前世の因縁なのか、と。

 けれども実際はそうではありません。

 比較的高等な生物は、生体反応が高度化した結果、自分と外界の区別を認識し、同類が外界にいるのを見て自分もその種の一員であることを知ります。
 精神活動をしたりそれによって生じる体からの信号も、脳に受信することで、精神活動は実感を確信を深めます。
 人間として自分らしさを客観的に認識できるようになったのが自分です。受精とともに発生し、死とともに消滅する、広い宇宙でいまこのときこの体内で行われている精神活動を、その内側から見たものが自分です。



Q.自殺してはなぜいけないのですか?

A.車を壊さずに長持ちさせるには運転手が車を大事に賢く運転することが必要です。

 自分を大事に生きるということは、生命体の運転手として生じた自我に与えられている義務であり、それはまた、自分が将来より幸福になる確率を最も高めることです。

 人は他人を見ながらその中で暮らしています。社会生活を送るひとりひとりが、暴走的に自他を破壊するのではなく、お互いを大事にして個人個人や集団を幸せに保つようにする、このことは非常に自然なことです。

 自殺を考えるほど追い込まれている人は、その自然の摂理よりも逼迫した病気、怪我、貧困、ショック、無気力、犯罪その他の大きなストレスにさらされていて、比較的遠い未来の幸福より今の苦痛から逃れるために反対の行動をとることを天秤にかけて比較しています。

 でも追い詰められた人を助けるように、人は長い歴史の中で知恵を蓄え、いろいろなシステムやものを作ってきました。精神的に助ける技術もあります。困っても解決する道があると信じて探すこと、人に頼ってみよう、組織、制度、システムに頼ってみようとしてみれば、意外に早く立ち直れるものです。



Q.人を殺したり人を不愉快にさせてはなぜいけないのですか?

A.生物が同じ種の他の個体を殺したり生活を脅かすことは、種の衰退につながるので、本能的にそれを避けるように脳にプログラムされていると考えられます。他の種を殺したり仲良くやるかは、なにを捕食する動物かによって異なります。

 人間同士はさらに、理性的に自分や集団の幸福を追求する能力をもっているので、他人の幸福を妨げることを最小限にするよう、いろいろな決まりを作ってそれをすべての人に守らせるようにします。

 こんな決まりなど破ろうとも動物の共食いと似たことであって別に悪くない、とする人は、社会生活を行う上で、いつ他人を脅かすかもしれない危険な人とみなされて、不利を被るようになっています。だいそれたことを起こす人間にならないよう、子供は躾けられ教育されます。動物よりも理性的で素晴らしい社会生活を送る能力をもった人類だからこそ、殺し合いや不毛な戦いをしないようにしたいものです。



Q.自分は何のために生きていかなければならないのでしょうか?

A.人間である以上、自分や周囲や社会の安定や幸せのために、あるいはもうちょっと欲を下げれば、自分や周囲や社会の安定や幸せを妨げないために、あす以降のよりよい状態に向かって、プラスのことを実行し、マイナスのことをしないでいく。

 基本はこんなところですが、実際にいろいろなレベルの話が複雑に絡んで、生きていく悩みは尽きませんね。

 マラソンをゴールまで走ることを考えていても疲れるなら、いまはあそこの電柱まで、あそこの曲がり角までと、達成が容易な目標に置き換えて、景色を楽しみ、飲み物で喉を潤しながら走れば、意外に遠くまで行けるかもしれません。

 学生だったら次の試験まで、会社員だったら次の給料日まで、社長だったら次の支払いまで、とにかく走ってみる。走りながら、よりよい明日のためのアイデアをひねり出そうとする努力は惜しまない。回りにも苦しんでいる人がいるから声を掛け合う。力を出し合う。



Q.努力は報われて願いが叶う、というのは本当ですか?

A.いいえ。努力を測って報酬を出す神様はいません。隠れた努力、隠れた善行はなおさら報われません。

 ただ、努力の方向が当たっていて努力の量が十分あれば、未来をよくする準備として効果が発揮される可能性が高くなってきます。

 勉強の効果が出て、行きたい学校で身につけたい知識、技能を身に付けられるチャンスがくるかもしれません。

 練習の効果が出て、スポーツや芸術の世界で、自分ならではの活躍ができるかもしれません。

 残念ながら努力して必ず幸福がすぐくる保証はありませんが、けれども努力なして幸福を待つほど頼りない生き方もありません。努力ほど幸福を招くものはないのです。

 努力したくてもできない境遇にいるときは、あきらめや気持ちの切り替えが自分の幸福を招くことも多いものです。



Q.宗教は悩んでいる人を助けてくれる力をもっているのはたしかなのに、神や仏はいないということは、宗教は詐欺ですか?

A.いちがいに宗教を否定するものではありません。社会の潤滑油的なものから過激あるいは冷酷なものまでさまざまな集団、教義がありますから。
 ただ、科学が十分発達した現代の宗教は、今までの行き過ぎを改めた方がいいと思います。宗教に共通する、神仏やあの世の存在は真実でない世界観かもしれませんがそれだけで問題なのではありません。もちろん人を愛して人のために行動しよう、人に感謝しよう、亡くなった人も敬おうと説くのはいいでしょう。

 しかし人を精神的に支配しようとそのパワーが政治に利用されると、極端には民族間の虚しい争いや際限ない互いの復讐を助長することになります。もし戦争や紛争やテロの原動力になるようであっては、本来の宗教の趣旨と正反対になってしまいます。



Q.幽霊はいますか?

A.いません。

 ただ、死ぬ前のその人の精神活動が、時間を超えてその後の人の脳に恐怖を与えたり幽霊の像をあたかも見ているような影響を与える、すなわち幻覚を生じさせることは、ありえないことではないと考えられます。

 人は極限状態や病気で幻覚を見ることが多く、そういうときの判断能力では、幻覚を現実と誤解して疑いをもたなくても不思議はありません。



Q.亡くなった人の幽霊を実際に見たのですが? しかも私が知らなったその人の情報があとから聞いて符合が合ったのでゾッとしました。これでも幽霊がいないと言えますか

A.いないと思いますが、その体験は何かの原因で実際に生じたかもしれません。
 亡くなる直前の人の脳から発せられた強い信号が、時間をくだって見る人に幻覚として情報を生じさせた一種のテレパシーかもしれません。

 幽霊が水木しげるさんの描く世界のようにその辺に住んでいたり、あの世からやってくるものではありません。



Q.霊がないというあなたは暗闇でもお化け屋敷でも決して怖がらないはずですよね?

A.いいえ、存在を信じようと信じまいと、怖いものは怖いです。



Q.魂はないのですか?

A.はい。
 生きている人の精神活動や自我意識は、魂という名前を与えたいような明確なものですが、死んで脳が存在しない人は精神活動は不可能なので、死後まで継続するような精神活動、あるいは自我は、定義さえできません。
 したがって、不滅の魂というものは残念ながら存在しません。魂のかわりに霊と言っても同じです。霊は存在しません。



Q.意識のない人、体の反応がなくなっていわゆる植物状態の人はどうでしょう? 魂があの世に行っていて戻ってきていない過程ではないのでしょうか?

A.いいえ。これらの状態は、死んで葬られた状態とは区別すべきです。

 体があり脳がある場合、一見脳の活動が停止しているようであっても、実は動いていてその人格によった精神活動が行われていることがあります。植物状態といっても自分の名前に反応したり、家族の呼びかけに反応したり、質問に答えたりしている例が最近の研究で分かっています。また、医学的状態によっては、再び脳の活動が活発化して、普通に生きられることがあります。

 体を火葬などで葬るまでは、こうして蘇る可能性があるので、人格を十分尊重して対するすべきです。一見意識がなさそうだからと、死んでいるのと同じようにするのは危険です。病気の見通しや症状のこと、あるいは死後のこなど、その人が聞いて傷ついたり心配したりしそうな言葉をそばで発することは慎むべきだと思います。



Q.死んだと思われた人が生き返ることがあるということは、魂の実在を証明しているのではないでしょうか?

A.いいえ、脳の活動が復活しただけです。



Q.他人に記憶が移ったという驚くような事件を聞きますが、それが本当だとして、魂があって体から体に乗り移れることを意味しませんか?

A.いいえ。魂が体を離れて精神活動をすることはできません。口から出たエクトプラズム(ectoplasm)が魂だという仮説が昔からありますが、精神活動をできる装置としては不足です。

 ただし、人の脳から別の人の脳に、意識的または無意識的に情報が伝わったり、その伝達が時間的に同時でない、といったことはありえないとはいえないので、そのケースのひとつとして、記憶が移ったように見えたり、いわゆる前世の体験を思い出したように見えることがあるのかもしれません。



Q.死後の世界を見てきた人がよくいます。死後の世界が実在する証拠ではないですか?

A.いいえ。自分の脳で死後の世界を見たり、死んだ人から何か言葉を言われたというような臨死体験をする人は、特に重病で意識が一時なかった人に見られます。
 その脳の中で夢のようにストーリーが生まれてそれを記憶したために起こったものです。多くの場合、その人の宗教的な先入観で天国だったり三途の川だったりします。けれど幻覚であるために、そこで会ったのが生きている人達だったりします。現実と同じく現実的な生活を送った経験談というのは聞きません。亡くなった人に会って「まだ来てはダメ。すぐ戻りなさい」と言われたら生き返ったという体験談は非常に多いですが、潜在意識と体調回復が無意識に作った本能的な夢だと私は解釈しています。その解釈を超える有力は存在感はいろいろ聞いても感じられません。
 このように「生き返る運命(?)」を告げられたエピソードはたしかに多いですが、生き返る幻覚を体験しながら体がもたず亡くなってしまった人が仮にいてもその体験は聞けないですから、反証は数が揃えられませんね。



Q.生まれ変わりや前世はないでしょうか? 死んだら鳥や魚に生まれ変わらないでしょうか?

A.生まれ変わることはありません。したがって、前世もありません。

 動物が人間に生まれ変わったりその逆もありません。植物や微生物との生まれ変わりもありません。

 前世を語る人は、潜在意識か、DNAが脳に作った本能的回路内の記憶か、昔の人の脳との通信内容を語っているように思えます。

 催眠術をかけられた場合、見るイメージは術者にコントロールされている可能性もあります。

 前世悪いことをしたために、つまり業(カルマ)のために今不幸になっているということは、前世や生まれ変わり(輪廻)が存在しない以上、ありえません。現実の生活をまっすぐに見つめて改善し、不幸から幸福へと変えなければなりませんし、それは可能なので安心してください。



Q.死んだ人は星になるでしょうか? 雲や草木になるでしょうか?

A.なりません。

 星は宇宙の大きな構成要素で、光る星は高温を発している太陽のような恒星です。雲は水が上空で目に見える形になったもので、草木はそれぞれ人間とは別の生命体です。



Q.死んだ人は何になるのでしょうか?

A.人間の構成元素は主に、炭素、酸素、水素、カルシウム、リン、窒素、硫黄、カリウム等です。火葬される場合、主に二酸化炭素と水になって火葬場の煙突から大気に放出され混ざっていきます。燃えなかったカルシウムを含む骨が壺に入れられ、墓石の下の部屋、あるいは最近は納骨堂に収納されます。

 人格のもとになっていた脳の記憶や演算回路は、脳組織に熱が加わるとともに復元不能に破壊されてしまいます。

 「千の風になって」という、私の悲しみも癒してくれた素敵な歌があります。お墓に魂がいないというのはたしかに真実です。こんなことを言うと野暮かもしれませんが、魂がそのほかのものに宿ったり、お彼岸にどこかから仏壇に移動してくるようなことはありません。体を構成していた物質が火葬なら酸素、水、二酸化炭素などに分解されて、さまざまな無機物や有機物になったり、一部は時によって、生物の体や活動の材料になることは事実です。土葬の場合は微生物に分解されて同様になります。



Q.石や金属も魂をもったり神が宿ったりしていないのでしょうか?

A.いいえ、石や金属は、精神活動の装置をもっていないので、生命体としての空間的あるいは時間的なまとまり(単位)があるようには認められません。それらは自我を意識できないだけでなく、刺激に反応して環境に適応して自己の維持を図るという生命の基本機能をもっていないので、その中に命の存在を仮定する必要は一切ありません。



Q.植物は実は意識をもっているのではないでしょうか?

A.いいえ、しかし、ある意味そういう見方ができないこともないでしょう。

 比較的高等な動物がもっている意識と同じものをもっていないのではたしかですが、しかし、刺激に反応して環境に適応して自己の維持を図りますし、単位は動物より柔軟ですがまとまりがあります。脳はないようですが分散した神経系に近い感じはあります。また、個体間のコミュニケーションもあるかもしれません。

 歌を歌ったり人の気持ちや言葉に対して反応するというようなことがあるかどうかはっきりしませんが、動物とは違った形であっても、石や金属と違って高度な生命活動をしているのはたしかです。

 植物の体を離れた植物の自我が魂として存在することはありません。



Q.植物を切ったり折ったり土から抜いたり食べたらかわいそう?

A.いいえと言い切りたくないですね。植物の生命活動は、動物とはだいぶ様子が異なります。それでも、自分や種族を維持しようという生命力をもっているのは同じです。それを人間や動物と同じように尊重すれば、かわいそうという気持ちをもつことも自然ですし、それが人間と植物の共生にいい影響があるでしょう。ただ、人間にとって近縁関係の遠い生物なので、ちょうど動物の肉を人間が食べるのと同様、種類や状況によってはごめんなさいと割り切る場面も多いでしょう。そうしないと、主食の穀類さえ食べられなくなってしまいます。



Q.ところでサンタクロースはいますか?

A.いません。



Q.神様はいますか? 仏様、守護神はいますか?

A.いません。成仏もありません。



Q.守護霊、悪霊、妖怪はいますか?

A.いません。ちなみに水木しげるのマンガの世界は好きです。



Q.キリストが奇跡の復活をする日はくるのでしょうか?

A.キリストが葬られて体が存在しないなら、そういう日はきません。

 余談ですが、西暦がB.C., A.C.ときて、もしある年キリストが復活すると A.R.(After Resurrection)か何かの新体系に移って1年にリセットしてしまうはずですよね。コンピュータ屋としては、これは恐怖です。大部分のプログラムは、調べて修正しなければならないでしょう。しかしSE、プログラマが不足します。邦歴の元号切り替えと同じく、業界では大混乱が起こります。西暦を使う方がリセットがないから合理的、実用的だと唱える人は、キリストの復活を信じていないからだと思います(信じなくていいと私は思いますが)。



Q.この世界を作った造物主や、この世やあの世の人の生死を決め、あるいは生前の行動の善悪を審判して行くべき死後の世界を決定する造物主、つまり神がどこかにいらっしゃるのではないでしょうか?

A.いません。



Q.神の子孫や弟子はいないと?

A.はい。



Q.各国、各宗教の言い伝えや神話は作り話だと?

A.はい。ただ、昔の宗教家が語ったり行動したという記録自体には真実の伝記の部分もあることでしょう。一方、そこに書かれた神との関係や行ったといわれる奇跡については、基本的に創作物です。人々は長い年月、それを信じることを強制してきて、否定しにくい雰囲気を保ってきました。現代でも、この精神的に最も解放された国と思える日本でさえ、多くの人が宗教的歴史の影響を受けています。



Q.奇跡を起こす教祖様が言うことを信じるなら、教祖様自身が神であったり、教祖様があがめる神が存在することになるのですが?

A.神や仏はいません。その教祖様が行った奇跡が本当かどうかチェックしてみるといいでしょう。手品や催眠術やマインドコントロールを使ったかもしれません。

 あなた以外の人がみんな驚いて奇跡と言ったのであなたも奇跡と言わないと義理が立たない、といった状況設定のマジックだったかもしれません。

 また、人間に超能力はあるかもしれないので、その“教祖”が超能力を使って人々を驚かせただけであって、だからといって神がいるということに結びつきません。



Q.神様や仏様を拝むことの御利益(ごりやく)、御札(おふだ)、お守り、絵馬などを買って大事にする御利益はありますか?

A.ありません。神社、仏閣の営業と心得ましょう。気持ちの上での安心を買っているのです。



Q.神様や仏様を拝むことを怠けたり、失礼なことをしたり、御札、お守り、絵馬を粗末にするとたたりがあったりばちがあたりますか?

A.いいえ。たたりは存在しません。ばちがあたることはありません。



Q.姓名判断は当たりますか?

A.当たりません。体験済み。



Q.手相占いは当たりますか?

A.さあ。当てられた経験はありません



Q.おみくじは当たりますか?

A.いいのが出ると嬉しいですよね。でも当たった実感を覚えたことはありません。ふーんという程度です。二枚引くと違うことが書いてあるのも気にいりませんね。うちの母は、大吉を引いたとき、もう引かないと言いました。有効期間が書いてないですからこれはいい方法ですね。



Q.どういう方角にいつ行くと運がよくなる、悪くなる、どういう家のつくりだと運がよくなる、悪くなる、といった九星術(きゅうせいじゅつ)の易断は当たりますか?

A.当たりません。体験済み。ただし、五黄(ごおう)の日に悪いことが身の回りに起こりがちだ、というのは当たっていたような気もしていましたが……今はもう気にしていません。



Q.易は当たらないと断言しますか?

A.いえ、予知能力を生かす手段として使える部分はあると思います。易に限らず当たっている予言者というのもよく調べるとそうでもなかったりします。



Q.友引にお葬式をすると引かれて亡くなる人が出ますか?

A.そんなことはありません。



Q.結婚式は大安にするのがいいというのは本当でしょうか?

A.別に関係ありません。



Q.どんなことでも、一切縁起など、かつぐ必要はないということですね?

A.そういうことです。安心なさったでしょう?



Q.星座占い、わたしがあとから読むと思い当たることが必ずあって、当たっているとしか思えないのですが?

A.当たる占いがあったら興味があるので教えてください。ただ、占い師とかおみくじを作る人は通常、当たったと思ってくれそうなことやどちらにもとれることを書きます。ですからテレビで答え合わせ占いを見ていると、自分の星座(魚座)だけでなくほかの星座の運勢もいくつも思い当たることがあることが分かります.人間は当たってほしいと理屈をつくっちゃうんですね。ディスクが壊れて非常に苦労したような日に魚座にいい運勢が出ていたとき、やっぱり当たっていないと確信することができました。こんな見方で検証してみてください。



Q.亡くなった人を誹謗中傷したり法事をさぼったりすると、ばちがあたりませんか?

A.ばちはあたりませんが、生きている回りの人から信用されなくなるので、社会生活上不利になるかもしれません。自分が死後にして欲しいことを、亡くなった人にしてあげることは、自分や周囲の人を安心させることはたしかですね。

 逆に、仏壇から火事が出たというニュースも目にしますが、さぼっている信者なら仕方ないにしても、お灯明をあげて毎日拝んでいるだろうと思われるそういう敬虔(けいけん)な信者をそんな不幸に合わせる仏様は酷ですね(いるとしたら矛盾という意味です)。



Q.マーフィーの法則(物事は起こって欲しくないときに限ってよく起こる)は存在しますか?

A.存在しません。

 幸運なことや不幸なことは、公平に等間隔に起こるわけではありません。特定の少ないサンプルに限ってみれば、物事は人が考えるより遥かに不公平にかつ固まって起きているというのが、統計学上の真実です。

 したがって、起こると困るとき起こる、ということがある人に立て続けに起こることがあるでしょう。ですから、デモをする前はソフト、ハードが壊れないかとりわけ慎重にチェックしておいた方がいいでしょう。

 けれども一方で、そうでないことも起こっているのです。

 そういう意味では、いつも真ではないですが、まったく嘘の法則ともいいきれません。言ってみれば「当たって欲しくないときに限ってよく当たる法則」ですね。



Q.お正月から法事まで、何々をしちゃいけない、何々は幸運を招く、などと、身の回りには縁起をかつぐことばかりですが、全然意味がないのでしょうか?

A.はい。縁起をかついでも効果はありません。

 ただ、縁起をかついでいることが、自分自身や回りの人に与える安心感が、その後の行動をよく導くという間接的な効果、社会生活上の効果があるでしょう。

 縁起をかつぐために払うコストがとても大きくなるとそれはそれで問題でしょう。



Q.幸運を祈るということは効果がないことなのでしょうか?

A.いいえ。効果はあると思います。

 普通の人が普通にした程度では効果がないのも残念がながら事実です。

 相手の幸運を純粋に祈ったり、「神」に自分や相手の幸運を祈ることが、相手の脳へのテレパシーとして効果を生むことや、未来に自分という生命体にとってよいことが起こるような運命への作用が、ないとは断定できません。一生懸命念じていれば効いているのかもしれません。

 ただそれができるとしたとき、それは、「神様」「仏様」がいるからではなく、テレパシーや念力や遠隔治療に属する能力があるからだと思います(私にも遠隔治療の能力があると言われました)。



Q.人に呪いをかけることは効くのでしょうか?

A.さあ、試すのも恐ろしいことですが、普通の人が普通にした程度で影響がないのはたしかです。

 そんなことに走る前に、「人を呪わば穴ふたつ」という言葉を噛みしめましょう。



Q.透視、テレパシー、念力、予知(予感)、手かざし治療効果は実在しますか?

A.実在すると思います。現代人ではこうした超能力は弱いかゼロでしょう。ですから、(反対派代表の大槻義彦先生と同様)実在しないと信じている人が多いのは理解できます。

 しかし、実在しないことの証明は難しいですし、テレビでよく放送され自分でもたまに体験するこうした能力は、説明はできなくても存在するように思えます。

 私の見た例のひとつは、

「超能力スペシャル2010 今夜奇跡が? 世界最強超能力者×最新脳科学 ナゾ解明プロジェクト」
(TBS系で2010年1月4日放送)

です。
 姉妹の「テレパシーショッピング」実験もいい結果でしたが、「紙コップ透視」実験はより印象的でした。
 もともと超能力をもっていないという芸人の人達が、10日間の訓練を受けました。
 最終テストは、彼らが協力してぐるぐる交代しながら、広間に並べられた500組の紙コップから外れの1組を残してほかを除外する作業をすることでした。13時間くらいかかったとのことでした。
 紙コップはどれも2個が重ねられ、外れというのは内側のコップの底にあらかじめひとりがマーカーではずれのしるしを描いておいたものですが、その上に白いコップを重ねるので、外からは他の組と区別がなくなるわけです。また、500組を広間に並べたのは芸人の人達ではなく、スタッフですから、ここからひとつの外れを見つけ出すのは難しいはずです。

 番組によれば最後に残された1個が、まさしくマークしたはずれだったので、成功といえます。本人達は感激して号泣していました。

 この最終テストが成功する確率は、 1/500 すなわち 0.2%です。偶然でなく何かあると考えるべき数値です。

 この実験方法について私はただひとつ、「マークが、かぶせたコップの底を通じて、ほんの微かでも透けて見えていないかどうか」が気になりました(この実験方法の弱点だと思いますがそれは別途実験で検証可能な問題でしょう)。もしそうした透けが全くなくて、テレビ番組上のヤラセや編集によるインチキでもなければ、これは透視の証明といっていいのではないでしょうか。

 番組を成功させるために10日めに1回だけの収録で済ませたい長時間の最終テスト。しかも自分の透視が不注意で失敗すればそこでテストは終わってしまうので頑張ってきた他の人達に迷惑をかけてしまう。こんな恐怖の中で、自分達自身も信じられないような結果を出したから、あの号泣があったのではないかと感じました。

 そういう私も、人間が原始的なのでしょうか、かすかな能力はあるようです。高校の修学旅行で会津に行ったときのことです。宿舎で友人に、伏せたトランプの記号と数字を一枚一枚言い当てていくのを連続して(何枚か何十枚か忘れましたが)してみせ、結果的に60%位の確率で成功しました。
 もともとこういう自己訓練は好きだったのですが、このときは自分でも驚き、嬉しく思いました。
 私に透視能力や予知がないとすれば、自分のもってきたプラスチックトランプなので同じに見える裏の柄のプリントのかすれや傷か汚れといった個性をいつのまにか記号数字と結びつけて暗記してしまったくらいしか、メカニズムを思いつきません(今思えば人のトランプでやればよかったですね)。でも自慢じゃないですがそんなに記憶力がいい方だとは思いません。

 高校までの学校教育で習う物事の因果関係やアインシュタインより前の物理学の知識をもとにしている人には、超能力の存在は信じられないでしょう。しかし、最近の知識では、超能力や超常現象のうちあるものは否定されきってはいませんし、私の経験から、一部は実在します。

 ただ、実際に確率の低いことが起こっていたり、(最近の研究のはやりですが)そのとき脳のどの部位が活性化されているか分かった位では、そのメカニズムを従来の学問的知識で証明することはできません。

 脳細胞の働きを個々のシナプスやそこで働く物質の物理化学的、ことによると量子論的解明まで行ってはじめて、メカニズムが分かったことになるのではないでしょうか。

 私のいた武蔵中原の研究所で1990年頃、気功師が施術中に手から出る光を、光子だか微弱な電磁場の変化だかを鋭敏な装置(SQUIDか光電子増倍管でしょう)で捕捉して解明するテーマを提案した若い研究者がいました。研究開始を認められましたが、その研究が成功した話は聞いていません。

 これらの超能力が存在するか否かの解明は必要です。しかし、解明を待って真偽を議論しているだけではもったいないと思います。それよりは、(ものによっては存在の可能性が高いと思うので)とりあえず存在することを前提に、その能力を合理的に訓練し努力することによって、みんなが生活に活用していった方がいいと思います。解明されるのはあとでもいいではないですか。



Q.自分の体から抜け出し自分を見下ろしたり外に行ったという幽体離脱は魂や霊の存在の証拠ではないですか?

A.いいえ。私は夢の中で架空の景色の中で空を飛ぶことは多くありますが、幽体離脱と言われる現象の経験はありません。
 幽体離脱のような経験をしてそのときに見たものが実際の外界だった人がいるとするなら、その精神経験は否定しませんが、それは魂が存在して抜け出したからではなく、視覚でない方法で外界が見える超能力が働いて自分の意識の中では自分が抜け出したように感じられた、ということではないかと思います。



Q.金縛りは霊の仕業ではないでしょうか?

A.いいえ。私は浅い眠りのときに“金縛り”状態になったことがあります。脳が睡眠と覚醒の中間状態で運動神経が働かず意識は夢と現実の間になっていたという科学的説明がつきますし、自分の状態もそれと納得できています。



Q.超常現象を使った物や方法の発明は特許がとれますか?

A.いいえ。その発明の根拠となる原理を、いくら発明者が信じていても、それが現代科学の定説で認められていないものであれば、特許法
> 第二条  この法律で「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。
にいう「自然法則」を利用したといえないので、一般の空想や妄想やフィクションと同じことになり、拒絶査定されるでしょう。



Q.テレパシーが人間の能力なら、死んだ人とテレパシーで会話できませんか?

 死んだ人は死後実在していないので、会話できるだけの精神活動の装置がないのです。

 テレパシーできるとすれば、まだ死んでないときのその人の脳とでしょう。

 テレパシーは意識的なものも無意識的なものも、人の脳と脳の間のなんらかの情報の伝達とその認識で起こっているものと思います。



Q.未来(運命)の予知(予言)は可能ですか?

A.よく分かりませんが、可能かもしれません。

 脳には、未来をかすかながら予知する機能が備わっているのではないかとも考えられます。自分にその能力がなくても、それができる人の脳からテレパシーを受け取った脳が未来のイメージを浮かべることができるというケースもありえます。透視能力は、透視結果を見ている自分を予知していることで、予知能力の応用かもしれません。



Q.未来の運命を変えることは可能ですか?

A.「運命」という言葉を使ってしまうと答はよく分かりません。特に、予知が可能ならどうして変えることができるのか矛盾するような気もします。しかし、矛盾しないのかもしれません。つまり、変えない場合の未来が予知できることはあるのかもしれません。「予知できるならそれは唯一確定している」という命題には、疑問の余地があると思います。

 自分の将来は変えられるか、という問いなら、変えられると答えます。行動すればその結果が物理的、社会的に周りに影響するのはたしかですから。



Q.人と人をつなぐ「運命の赤い糸」ってあるんでしょうか?

A.ないと思いますが、会ったとたん「この人と一緒になるはずだ」と感じる直感(予知?)はあるかもしれません。



Q.気功や整体による治療効果はありますか?

A.あります。本物の治療はお世話になりました。ただ、この世界には偽物が多いのと、効果がないのにあるように思っている施術者あるいはそういう治療法もあって、玉石混淆です。非常に注意が要ります。また、大病を完全に防止したり大きな後遺症をすぐに直せるか、西洋医学の代替になるか、といったらそうでもありません。むしろ体の健康法やリハビリ手段として、利用価値が高いものです。



Q.過去の透視を使った超能力犯罪捜査というのは本物ですか?

A.分かりませんが、テレビを見ていると当たっている感じがすることはありますね。テレビという箱の中ではどんなマジックやサクラやネットでの予備調査も使えるので、100%信じるわけにもいきませんが。
 なぜ過去の透視ができるのか説明が難しいですが、過去の人が見ている景色や事件を選んできて、その脳から情報を読み出すことで自分の脳に再生するというような、時間を超えるテレパシーがありうるのではないかと思っています。そして人(や動物?)が見ていなかった景色の情報は、取りたくても取りようがないと思うのです。しかし、長い過去の膨大な人間の脳から、特定の事件に関するものだけを選別できる能力があるとしたらはGoogleよりすごいですね。
 後に見ることになる景色を夢で見るとか、遠隔地にいる人の病状を当てるなど、優れた超能力者がいるように言われます。これも人の脳と脳の情報伝達があるのではないかと思います。もし過去の自分の脳と、未来の自分の脳が無意識のうちにも通信できたら何ができるか……賢明な読者は分かりますね?

Q.念力でスプーンを曲げるのはインチキじゃないですか?

A.さあ、手品師が超能力でなく手品でしていた例もあったので非常に紛らわしいことになりました。ユリ・ゲラーは本当だったのか私には情報不足で分かりません。

 家には、スプーン曲げ番組を見ていた父親が柄をぐにゃりと曲げた厚手のスプーンが今でも転がっています。父は別に強い力をかけないのに曲がったと言っていました。右の写真はそのスプーンです。

 私は超能力を否定するか父の正直さを否定するかどちらをしたらいいでしょうか.



Q.オカルトを信じているくせにあの世はないなどと、矛盾していませんか? それに夢も救いもないと思いませんか?

A.あの世の存在を信じることが夢や救いになるのでしょうか?
 苦労があの世で報われることを信じれば我慢できるのでしょうか?
 もっとこの世の人々がお互いを大切に助け合って、より明るい未来に近づけることが、夢や救いになるのではないでしょうか。

 オカルトと言われるとそれだけでインチキ臭く決めつけている感じですが、いわゆる超能力と言われるものの一部は、実在して、将来科学的に立証されるだろうと予測するのはおかしいですか?

 中には「オーラ」とか「波動」とか「波長」とか「次元」とか、物理学的なようで実はいい加減な“業界用語”を織り込んだ怪しい超能力もあります。また、全然当たらない占い師がテレビで人気を得ることもしばしばですね。物理学では物質を構成している素粒子は波としての性質ももっているので、「波動」はいいけどその素粒子の種類を言ってくれないと議論にもなりません。そして超常現象を生むことのできる奇妙な素粒子の存在と性質が解明されないと、なるほどそれなら“奇跡”を実現できると納得がいきません。そうした実証がないまま、「波動」のような言葉で煙にまく新興宗教や健康法はSFと同じレベルです。

 ただ、未解明な超能力がないとは断言できません。たとえば、渡り鳥が正しく目的地まで飛べるのは非常に不思議な能力で、現代の科学で完全には説明しきれていない超能力の一種だと私は思います。
 ご覧になった方もおられると思いますが、GPS発信機を取り付けられた渡り鳥が、日本の東北地方からそれと似た風景のジャワ島の田舎の森まで、海上を飛ぶ距離が最小になるような最短経路でみんな飛んでいる。そんな研究結果をNHKテレビで見てビックリしたことがあります。
 最近の研究で、たとえば磁鉄鉱由来の磁石が脳にあって、地磁気の方向によって受ける力が変わるのを神経が知覚しているのではないかということが分かったそうです。

 星や太陽や月の方角をもとに方位を認識しているのではという説もありますが、天文学的知識がない鳥がなぜ方位を計算できるのか、そこはもう高度な本能や通信手段が隠れている(けれど存在する)としか思えません。

 また、今は証拠が皆無ですが、「生物が環境から得て処理された情報が、DNAの塩基配列に記憶されて、子供の脳回路に展開される」というサイクルが存在しているのではないか、という仮説を、私は独自にもっています。
 こうした謎を一歩一歩調べていって、人間も含めて生物の不思議な力が解明されていくだろうと思います。

 一方、あの世の存在する証拠がないことは、たとえば病気や事故で心身が壊れた生物がその状態であの世で永遠に生きるのが困難だろうと思われるという問題をはじめ、存在を仮定した場合の論理的矛盾のまさに爆発的発生から考えて、自明であると思います。
 この両者は関係ないので矛盾ではありません。



Q.超常現象は非科学的なものではないですか? 科学者が否定しているものを信じるのが正しいこととは思えませんが?

A.「非科学的」という言葉は人によって違うことを意味していると思います。
 先端の物理を学ぶと、時間はみんなに等しく流れているものではないとか(定説)、光より速い粒子(タキオン)が(式の上では)存在してもおかしくないとか、光は重力に引かれると直進できなくて曲がるとか(実証済)、エネルギーはマイナスもあるとか(注1)、それまでの常識をくつがえすようなことを先生方は教えてくれました。奇妙な法則(たとえば相対性理論)がなぜそれまで分からなかったか、不思議でしょう。
 ところが、普通見ている世界は、新しい法則を表す式の中のある係数が1であるとか項が0であるとかなので、古い法則(たとえばニュートン力学)と式が一致するのだ、と数学的に明らかなので、納得せざるを得ないのです。

 時間を止めることはフィクションので、実際には不可能……かというと可能なのです。ブラックホールに吸い込まれた物質は、それ自身には時間が普通に流れていても、見ているわれわれからは、相対論の効果でその時間が次第にゆっくり流れて止まった状態に限りなく近づきます。ブラックホールの中心に落ち切らないでブレーキをかけてしまったように見えます。見かけ上時間が止まるわけですね。
 そういう現実世界の奇妙さを知らなず小中学校の知識だけをものさしにして、科学と非科学(インチキ)を安易に選別するのは、科学的態度ではないと思います。

 いま分かっている最も奇妙な法則でもまだ1や0になっている係数や項が、今後の研究で分かってきて、それは今までの観測や実験の結果と矛盾しない。こんな姿で新しい科学的発見は登場するのです。
 ですから私も、今身の周りに稀にしか見られなくても、高次の方程式やより微細な素粒子の奇妙な振る舞いが見つかればそれと矛盾しないような発見が行われたとしたら説明付けられるだろうと思われることは、あるかもしれないという態度で、知識を吸収し仮説を立てています。

  注1:西島和彦:相対論的量子力学、p.45(培風館、1973)


Q.あの世はないというと、宇宙はこの地球から見えているひとつ(のグレートウォール)だけが存在するということも意味していますか?

A.いいえ。宇宙はビッグバン以前については解明されていません。ブラックホールはその向こうにある別の宇宙のホワイトホールにつながっているという研究者も複数います。時間もビッグバンからこちらがひとつあるだけではなく、多数あって複雑な構造をしている可能性があります。
 しかしそれは、「あの世」があるかないかと別のことです。人が死んだ年齢のままの、脳を含む体のコピーをもって永遠に暮らす世界があるわけはなく、天文学的発見があったからといって、その結論が変わるわけではありません。

 私は、聞いたことはありませんが“丸く”ループしている時間構造になっている可能性があると思っています。なぜならループしていれば時間のはじまりと終わりが何かとかその外は何かという問いに答えなくてよくなるからです。
 空間は重力による歪みで有限と分かったので(定説)、世界の端やその外はという問いに答える必要がなくなりましたが、そこからの類推です。

 その意味で、何百億年後に、というか何百億年ごとに、私がまた地球に生まれて全く同じ体験を繰り返すということはあってもおかしくないと思います。
 ただ、記憶もリセットされてしまうので、繰り返していることが分からないですね。ということは自分にとっては繰り返していないことと同じです。



Q.人の体が滅びても、その細胞からクローン技術で同じ遺伝子をもった人間を作れるはずですから、そうして育った人は元の人の生き返りとみなせるのではないですか?

A.いいえ。周りの人にとって懐かしい人の再来のようであっても、いわば“遅れてきた一卵性双生児”です。体つきや考え方はたしかにうりふたつかもしれませんが、記憶は別々です。自我意識も全く共有していません。ただ、たぶん元の人の気持ちを推測するのは非常に上手でしょう。

 そういえば、ペット動物のクローンを作るビジネスというのを聞きました。



Q.アニメやゲームに出てくる世界や技術がみなありえると思えてきますが?

A.空想の世界と現実の世界は区別しなければなりません。アニメやゲームには、実在する、あるいは有名な仮説になっている世界や技術も含んでいますが、まったくありえないことや、面白くするためにそれらしい怪しいことを作り出していることが多いものです。それを判断するものさしは現実世界のほうの知見です。



Q.タイムマシンは作れるのでしょうか、それとも作れないのでしょうか?

A.作れないとは断定できません。非常に硬くて地球規模の大きさをもった棒を超高速に回転させればタイムマシンというか、ワープすればすごいことになる時空の歪みを計算上は発生可能であるということです。
 タイムマシンがあれば矛盾が起こるからできないというような簡単なことではありません。ただ、非常に大きなエネルギーが必要で、いまの地球のエネルギー事情ではそれはできません。今後多くの法則が発見されて実用的なタイムマシン製作方法ができないと断定することはできないと思います。

 また、空間的に近いところのごく小さい時間の過去や未来を“見る”装置ができないとも断定できないと思っています。


 未来人がタイムマシンに乗って現代に遡って来ているのがUFOではないかと考える人がいます。
 私は、「タイムマシンが将来できたなら長い未来から多数の人が来るはずなのにそれがないからタイムマシンは将来もできない、証明終わり」と考えたことがありましたが、そんなに単純な論理では証明にも何にもならないですね。
 未来人の技術のみならず行動も予測が難しいと思います。
 できれば未来人が現れて何か教えてほしいものです。それとも近いうちに地球人は温暖化かABC兵器などの汚染で絶滅してしまうのかもしれません……。



Q.宇宙人や、宇宙人の乗ったUFOは実在しますか?

A.私自身は見ていません。実在してもおかしくないと思います。

 いままでの目撃談や写真やビデオの多くは偽物だったと言われています。だからといってすべてが偽物だと証明されていないと思います。特に、大国の政府にはそれを隠す理由がありますから。

 私の信用できる人が幼稚園生のとき、回りの大勢の人達と一緒にUFOを目撃し、それはよく言われる特徴をやはり備えていました。実在しないとするとその人への信用はどうしたらいいのでしょう。

 一方、UFOの飛来など信じないという学者の間でも、他の恒星の惑星にいるかもしれない人類と通信を試みるSETI計画は、まともな計画と理解されています。
 あの方法では成功しないと思う私ですが、それでも、この広大な宇宙に地球人以外の人類が過去も未来も存在しないとする方が、無理があると思っています。つまり、いるだろう、運が悪くても別の時代には、いるだろう、と思っています。

 いま宇宙人の体がそこらに転がっていなくても、火星や小惑星や彗星や隕石などのどこかから、生命体を構成していた物質の片鱗でも取ってこられれば真実が分かります。
 そのDNAの塩基配列を機械で読み取って、地球生命の塩基配列と比較するでしょう。
 その染色体構造からはじまって、それを構成する数多くの遺伝子の、地球生命のいろいろな種との相同性が分かります。
 それだけではなく、進化系統樹上で地球生命との分岐が何億年前だったかということまで、わずか3カ月の研究で推定できてしまいます。
 いったん展開しはじめると知識は急速に得られるでしょう。

 おそらく2030年までには。宇宙“人”のサンプルではなくても、“宇宙たんぱく質”のサンプルは得られて塩基配列が解読されるでしょう、それが「他の星の生物」の構成成分です。遺伝情報をもった鋳型であるDNAは、A, G, C, T, Uという塩基からできている、という地球生物の常識さえ、いつかくつがえるでしょう。
 それどころか、地球上の生物は炭素の鎖で体を作っていますが、他にも重合して高分子を作れる元素がありますので、それらで体を作る生物がいたらどうでしょう。硫黄(S)からできた硫黄人間(ゴム人間)、珪素(Si)からできたシリコン人間なんていたらどんなでしょうね。


おわりに


 いかがでしたか。あなたの世界観と異なる部分もあれば同じ部分もあったことでしょう。

 ご感想、ご意見をメールでいただけると嬉しく存じます(ご相談はお受けできません)。


面白リンク:
   ■ 心とは何か? … 唯識論(1)〜(8)(さいとう ゆうこ様抜粋要約 笹本戒浄著 「真実の自己」)

   ■ タイムマシンは実現するのか?亜光速宇宙船あれば未来は可能(ダイヤモンド・オンライン)



 ※ 下に出てくる広告は私が選んだものではなく、Googleが機械的に選んだものです。面白そうですが結構怪しげな広告も出るようですので念のため(笑)


 
- Copyright © sonobelab.com, Masayuki Sonobe 2010-2024.
- 最終更新日 110日前: 2024. 9. 3 Tue 14:50
- 本ページのアクセス数(2010.05.01〜) 00,006,368
- 園部研 のアクセス数(2002.07.01〜) 05,316,045